オフィスがなかったからテレワークが当たり前だった【スマート会議術第134回】

オフィスがなかったからテレワークが当たり前だった【スマート会議術第134回】「灯台もと暮らし」編集長 小松﨑拓郎氏

「これからの暮らしを考える。より幸せで納得感のある生き方を」をコンセプトに謳ったWebメディア「灯台もと暮らし」。小松﨑拓郎氏は学生時代からこのメディアの編集者として携わり、大学卒業とともにこの「灯台もと暮らし」を運営する会社Waseiに新卒として就職。

ここまではよくある話だ。しかし、小松﨑氏は“通勤”ということをほとんどしたことがない。 会社がそもそもオフィスを持たず、コワーキングスペースを利用していたためだ。そのため茨城に在住しながら仕事の多くをテレワークでこなしていた。

ところが週数回の会議のための出勤すら辛いと感じるようになり、やがて上京することに。そして、初めて体験した大都市での慣れない暮らし。それが田舎育ちの小松﨑氏にとっては重荷だったという。

そして、彼が選んだのはドイツ・ベルリンへの移住だった。

テレワークを武器にいつでもどこでも仕事ができる環境に身をおいた小松﨑氏。ベルリンには東京にはない何があったのか? 「灯台もと暮らし」のコンセプト「これからの暮らしを考える。より幸せで納得感のある生き方を」を自ら実践する小松﨑氏にお話を伺った。

目次

田舎育ちには東京の空は狭すぎた

――ベルリンに来て2年目とのことですが、それまで日本ではどんな活動をされていたのですか。
ベルリンに来たのは2018年の末ですが、もともと仕事はずっとテレワークだったんです。大学在学中に「灯台もと暮らし」というWebメディアのお手伝いさせてもらっていて、2015年にそのまま新卒で「灯台もと暮らし」を運営する株式会社Waseiに入社しました。
僕が卒業するタイミングで4名ほどのメンバーで会社を設立して始まったのですが、最初は上野のコワーキングスペースに入居して、週1回の定期会議で集まる感じでした。茨城に住んでいた僕は、新卒で入社した最初からSlackを使って朝9時にログインして、日報を書くところから社会人生活が始まりました。
出社するのは週1回の会議と週3回の取材くらいでしたが、茨城から東京までの通勤に体力と時間を使うことにストレスを感じて、2016年の夏に東京に引っ越したんです。
数年はそのやり方で仕事をしていたのですが、取材先でいつもメンバーに会うから、「もうオフィスは要らないんじゃないか?」という話になって、一時期は「移動する編集部」を銘打って自分たちの拠点を数カ月ごとに変えながら働くこともしていました。
――最初はコワーキングスペースを使っていたけど、それすらも必要なくなったわけですね。
そうですね。各々が好きな場所にいて、パソコンの前でSlackにログインすると点灯されて「仕事をしている」証になっている感じです(笑)。朝9時までにその日の日報、報告を共有しつつ、オンライン上にいることが会社のルールでしたね。
――日報はどういう機能を果たしていたのですか。
みんなそれぞれ違う場所にいたので、誰が何をやっているかを共有しあうため。同時に新卒の社員が何をやっているのか、どれくらい進捗しているのかというのを見ておきたかったのかなって思います。
――その後また茨城に戻られるんですよね?
はい。田舎育ちには東京の空は狭すぎました(笑)。よく体調を崩すようになってしまって、2カ月に1回は風邪をひくようになっていたんです。もちろん忙しかったこともあると思いますが、息抜きできる自分の時間を持てなかった感覚がずっとあって辛かった。自分にとって心地のいい環境を選びたいと思ったので、独立するタイミングで茨城に戻りました。2017年にフリーランスになってからも渡独を見越してテレワークでお仕事をさせてもらってきたので、ベルリン移住後も日本の仕事を同じようにやらせてもらっています。
――日本の企業や自治体などとの仕事が多いと思いますが、ベルリンを拠点にすることで不都合はありませんでしたか。
確かに僕自身は現地取材という形で直接お伺いできなくなってしまいましたが、必ずしも僕自身がリアルで会わずとも、もともと各特集には各編集部メンバーが担当している仕組みです。もちろん、コンテンツの制作面ではオンライン上で携わっています。
僕は「灯台もと暮らし」以外にも、いろいろなメディアのお仕事に携わらせてもらっているのですが、ベルリンに来たことでプロジェクトマネジメントをすることが中心になってより貢献できるようにもなったので、うまくシフトできたと思います。
――「灯台もと暮らし」をはじめ、小松﨑さんが関わる仕事の打ち合わせはすべてオンラインになっているわけですね。
そうですね。わりとすんなりできています。どのクライアントさんとも、基本的にオンラインでビデオ通話しながらミーティングさせてもらうようになっています。もう離れすぎているので他に選択肢がない感じだからできているのかもしれません(笑)。

ベルリンの4つの魅力

――東京には馴染めなかったということですが、ベルリンも結構都会ですよね?
ベルリンって都市なんですけど質の高い自然がめちゃ近いんです。自然が近いので日本にいたときと遊び方、過ごし方がだいぶ変わってきましたね。電車に30分乗ればすぐに湖や大きな森があります。
――実際ベルリンに住んでみたいと思った大きな要因は何だったのですか。
ベルリンならではの良さは大きく4つあります。ひとつは近所づきあいが盛んなこと。東京って密集はしているけど人との距離が遠いじゃないですか。隣に住んでいる人の顔も名前も知らないことが当たり前ですよね。ベルリンの人口は375万人くらいで、面積も東京23区(約957万人)より広い。都会なのに小さなコミュニティという感じ。移民も多くて、日本人も3600人くらい(平成30年現在)住んでいますし、初めて海外で暮らしてみようって人でも気軽に来られる都市ですよね。
2つめは食事が肌に合うこと。朝食と夕食はカルテステッセンという火を使わない料理がおいしいんです。パンにおいしいハムとおいしいチーズを挟んでそれで出来上がりなので、すごく楽なんですよね。1~2週間に1回ぐらいちょこちょこ食事会があるんです。ご近所さんとおうちで自宅飲みみたいな感じのホームパーティですね。ご近所さんのおうちに一品二品こちらでつくってお伺いして、楽しくいろいろたわいもない話をする。そういう習慣は東京で「いいお店の予約とったから、ここで飲み会しよう!」みたいな感じとはまた違う雰囲気で、すごくアットホームで心地よいんです。
3つめは買い物。いま僕が座っている椅子も人から譲っていただいたものなんです。蚤の市やフリーマーケットがすごく盛んなので、要らなくなったものが次の人に渡っていく。ローカルで循環する暮らしの価値観に共感したし、実践したいと思ったのでベルリンで生活してみたいなと思いました。
4つめが遊び。ベルリンの人って公園でよく過ごすんですよ。公園に布1枚持っていって、瓶ビールとか本とか、犬とか一緒に。あと友人が集まってお話ししたり、1人でギターを弾いているおじさんがいたりとか。各々が好きなように過ごしている。お金を使ってエンターテインメントを楽しむよりも、自分にとって心地いいものをよく知っていて、お金をかけずとも自分を喜ばせることができるみたい。公園でみんなが気ままに和やかに過ごしているのを見て、「あ、こういうあり方もアリなんだな」って惹かれました。
特に東ベルリンは若いアーティストとかクリエイターの人たちが多く、自由な雰囲気があります。いろいろな国籍の人たちもいて、アジア人の僕は過ごしやすいのでいまは西ベルリンから東ベルリンに移りました。
ベルリンの壁崩壊からまもなくは、家賃もまだ安くて空いている住居があったそうです。ただ僕が来た2018年末ぐらいは過渡期で、ベルリンの家賃相場も15年前に比べて2.5倍ぐらいに上がっているそうです。やはりスタートアップも増えて、若い人が集まってきて家の希少価値も高まってきています。不動産屋がリノベーションして付加価値をつけて売り出したりして、そういう資本の波がものすごい勢いで押し寄せているので、随分変わってきていると聞いています。

文・鈴木涼太

小松﨑 拓郎(こまつざき たくろう)「灯台もと暮らし」
1991年茨城県生まれ、ドイツ・ベルリン在住。編集者、フォトグラファー、ビデオグラファー。これからの暮らしを考えるウェブメディア「灯台もと暮らし」編集長。クリエイティブチーム「白梟」主宰、グリーンな暮らしを紹介するマガジン「白梟は樹洞のなかで眠る」を運営。

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