コミュニケーションの現場で 起きている変化【第3回】

コミュニケーションの現場で 起きている変化【第3回】株式会社モダン・ボーイズ 竹中功
 
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コミュニケーションがなくても生きていける?

最近よく聞かれたり、質問されることにこういうものがある。

・私はコミュニケーション力がないので身につけたい。
・もっとコミュニケーションをうまくとれるようになりたい。
・コミュニケーションが必要ない部署で働きたい。

これらは、他人に心を開いてもらい、対話をして、良い人間関係を築くには、「コミュニケーション力」が必要だという認識からだろう。私も他人の心を開くには両者に「共感する力」が必要だと思っている。どちらかが拒否したり、投げた言葉に対してイヤイヤ返してきたら、こっちまでイヤな気になってしまう。

自分自身が「コミュ力不足」を嘆き、それを上手になることを望むのならまだ応援のしがいもあるのだが、いまの時代、驚くことに「コミュ力の不要な場所で生きていきたい」という人たちが現れはじめてきた。

「コミュニケーション」をとることは、そんなに難しくないので逃げなくっていい。人間とつき合うのはそんなに難しいものではないからだ。プロボクサーのマイク・タイソンではないのだから噛みついてはこない。人との距離はあなたに合った適当なもので構わない。人それぞれ違って当たり前だ。

コミュニケーションの現場が変わった

友人に聞くと、彼の職場では、同じフロアにいる先輩に直接話しかけに行かないで、メールで連絡してくる若い社員がいるそうだ。

昭和の時代も内線電話があったのでそれと一緒のことなんだろうが、合理的だしそれでいいといえばいいのだが、やはり握手と一緒で、部下から上司への内線は少々失礼な時もあった。歩いていくのが遠いのでしんどいのだろうか?

なかには取引先の人とのやりとりでも、「先方の担当者、いま会社のデスクに戻ってはるから、すぐ電話してや」と先輩がいうと、「それってメールじゃダメですか?」と若い社員が答える。先輩にすれば「いま調度、相手が電話もとれる時なんで電話して!」と命令しているのに、「メールじゃダメですか?」と返ってくるので、呆れてしまい、それ以上いうことを諦めてしまうのだそうだ。

私は「メールやチャットもSNSも優れたコミュニケーションの手段だ。しかしそれより上等なのは『生の言葉』を交わすコミュニケーションなんで、できたら会って話す。会えない時はせめて電話で話す」ということを勧めている。

だから電話ができるタイミングがあるのにメールで済まそうという人には、残念な気持ちになるのだ。せめてzoomでもいい、ネット回線を使ってでもいいので、直接話して欲しい。

シンプルでかつ大事な「直接対話」

そしてそのコミュニケーションのなかで一番シンプルなものが「直接対話」である。単純に「会って話す」ということである。だから会える時間が合わないとか、二人の距離がありすぎると(直接)対話はできない。昔はそれを繋げるための通信手段として狼煙を上げたり、手紙ができてからは伝書鳩を使ったり、飛脚や馬が走ったりするようになった。例外だが、相手を特定するものでもなく、空き瓶に手紙を入れて、栓をして海に流す「漂流通信」というものもあったりした。

そういったコミュニケーションの歴史のなか、いまとなっても「直接対話」ほど有効なものはないといえる。「直接対話」は、交わす言葉以外に多くの情報が手に入る。それは他人の体調から服装や立ち居振る舞い、髪型の変化など。少し話せば主題以外に家族のことや仕事の調子、この先の予定などの情報まで手に入る。この主題以外の情報が入手できるということが大事なのだ。

コミュニケーションには必要なことと不必要なことが混在する。それでいい。コミュニケーションにもグラデーションがあるものだ。もっといえば、現代は曖昧さの必要性というのがどこか行方不明になってきた。はたして世間話や無駄話はそんなに必要がないものなのだろうか? お互いに「共感」探しをするのに一番いいのは、そうした話も含んだ「直接対話」だといえる。

そしてそれが叶わぬ時はせめて「電話」かネットで会話をして欲しい。忘れてはならないのが「生の会話」の良さである。「直接対話」に続いて、「電話」も主題以外の情報交換ができるコミュニケーションであるといえる。

かくいう私は「直接対話」と「通話」の両方を駆使している。というのは「ここ!」というところは普段の大声のほうがコミュニケーションをとるのが早いからだ。

相手との距離感を意識する

いまや「コミュニケーション」とは当然SNSをも含めた「人間間」のやりとりである。もう直接会話を交わす対話だけでなく、スマホを介して、絵文字やスタンプを送り合うことだけで、言葉抜きでも「コミュニケーション」は成立しているといえる。ただし、コミュニケーションには色々な手段があるので、それぞれの特性をよく理解し、使い分けて欲しい。

ところで、「人間間」と書いて思い出したことがある。車に「車間距離」があるように人間にも「人間間距離」というものもある。字面には違和感があるが、これは「パーソナルスペース」や「対人距離」ともいわれ、他人に近づかれると不快に感じる距離や空間のことである。

これを米文化人類学者はエドワード・ホールは「密接距離(intimate distance)」「個体距離(personal distance)」「社会距離(social distance)」「公共距離(public distance)」というよ うに、相手との関係と距離感を4つに分類している。3つ目のワードは予想もせずコロナ禍のせいでポピュラーになってしまった。

私は大阪人で、普段から声が大きいから、あまり相手に近づかなくってもいいはずなのに、私はよく相手から「近ッ!」といわれる。私にとってはコミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる空間(心理的な縄張り)や距離を自然に近くすることで、「共有感」を深める方法をとることが多いだけなのだ。

共感できたから近づくのではなく、共感するために密接距離に入って行くのである。これはひとつのテクニックと考えている。

ただこれは誰でも彼でも使えるというわけではない。初めて会った人であっても、アイコンタクトで「距離を近づけてもいい?」というサインが出ていたり、握手をしたまま相手を自分のほうに引き寄せたり引き寄せられたり、近づいた二人の「共感」を強く確認できればの話である。

竹中 功(たけなか いさお)モダン・ボーイズ
株式会社モダン・ボーイズCOO。同志社大学卒業、同志社大学大学院修了。吉本興業株式会社入社後、宣伝広報室を設立。よしもとNSC(吉本総合芸能学院)の開校や心斎橋筋2丁目劇場、なんばグランド花月、ヨシモト∞ホールなどの開場に携わる。コンプライアンス・リスク管理委員、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役などを経て、2015年退社。現在はビジネス人材の育成や広報、危機管理などに関するコンサルタント活動に加え、刑務所での改善指導を行うなど、その活動は多岐にわたる。著書に『謝罪力』(日経BP社)、『よい謝罪 仕事の危機を乗り切るための謝る技術』(日経BP社)、『他人(ひと)も自分も自然に動き出す 最高の「共感力」』(日本実業出版社)がある。

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