会議改革が会社の窮地を救った【スマート会議術第57回】

会議改革が会社の窮地を救った【スマート会議術第57回】株式会社吉村 代表取締役社長 橋本 久美子 氏

日本茶などの包装資材の企画・製造販売を手がける株式会社吉村。1932年創業の老舗企業だ。しかし、お茶のペットボトルが台頭した1990年代、経営は危殆に瀕した。その窮地を救ったのは2005年、三代目社長に就任した橋本久美子氏だった。

橋本社長が最初に着手したのは、社内のすべての会議を改革することだった。会議は会社の縮図ーーそんな経営理念のもと、これまでの経営陣によるトップダウン式をやめ、現場の女性や若手社員の参画意識が高まるよう、会議のやり方を変えていった。

そして、現在ではデザイン性の高い茶器やギフト用パッケージ、茶菓子などヒット商品を次々と生み、知名度を上げている。

会議改革によって会社に新しい風を吹き込み、ひいては働き方改革を率先してきた橋本社長に、会議の重要性について語ってもらった。

目次

会社がどん底の時代に引き継ぎ立ち往生

――2005年に三代目として会社を引き継いだわけですが、それまではどんな会社だったのですか。
二代目の父がカリスマで、父が言うことがすべて正しいという雰囲気の会社だったんです。父が「し」って言うと、「白ですよね!」、「く」って言うと、「黒ですよね!」って早く言った人が勝ち(笑)。そういう感じだったんです。父が言ったことに対して、ちょっとでも「それをやるとこんなことが起こるかもしれませんよね」と異論をはさむと、逆鱗に触れて「お前はやる気がない!」となるんです。だから、みんな黙っているっていう感じだったんです。
――お父様が社長をやられている間は、橋本さんご自身は社員だったのですか。
私が就職するときは、まだ男女雇用機会均等法ができる前なので、社員とはいえ、「婿養子をもらえ」と言われていました。女性の社長なんて、その当時は考えられなかったし、自分でもあり得ないと思っていました。でも、結婚相手は「婿養子にはならん」と言ったので、夫の橋本という姓になり、結婚後は専業主婦をしていました。
だから、会社を継ぐとはあまり思っていなかったです。でも、そんな中で1990年代にペットボトルが出てきて、会社が結構苦しくなってきたんです。売上も10年間でずるずると下がったんです。私が13年前に継ぐときには、10年で7億円下がる中で、みんな、「で、何をやればいいんでしょうか?」ってトップの指示を待っている状況で、本当に立ち往生でした。

優しい社長のはずが「リーダー失格」の評価をされた

――会社を引き継いで、すぐに「会議をどうにかしようと」と具体的に思ったのですか。
まず最初に、「新しく何かを始めなきゃいけない」という思いがありました。でも、当時は「何言っているの?」「ルーティンをやることが仕事だ」っていう会社だったんです。 
きっかけは、女性社員がみんな出産退職で辞めちゃうことに疑問を抱いたからです。出産退職で辞めるのはなぜだろうって。そんなとき、品川区が主催する「ワークライフバランス」に関する講演会に行ったことがきっかけで、ES(従業員満足度)調査をしたんです。私は父みたいに怖くなかったし、安心していたらその結果がひどかったんです。「リーダーシップがない。リーダーは答えを言って、こうしろと言うことなのに、それがない」って評価されて…。「あ、これを変えない限り、どうにもならないな」と思ったんです。でも、どうやって変えたらいいかがわからない。
まずはひどい結果を社員にフィードバックをしなければと、各営業所に行って説明しようと思いました。
それで営業所に行く際に、あるワークショップに出たんです。そこで、「オレンジが1個しかない。それを2人で分ける。このときにWin-Winになるためにはどうやって分けたらいいか」というグループワークを受けたんです。「縦に割る」とか、「横に割る」とかアイデアを出しますよね。そんな中、「種を植えて、オレンジの樹を生やせば山盛りになるよね」とか、「オレンジのケーキを焼いて、町に売りに行くとWin-Winだよね」とか、そんな話をする人が出てくるんです。
自分にはそういう発想がなかったけど、私が社員とやりたいのはこういうことなんだと思ったんです。ES調査では「もっと金がほしい」「もっと有休がほしい」「もっと金になることを見つけてこい」みたいな感じでしたが、そうじゃない。社員とパートナーとしてやっていきたい、Win-Winになりたいと、腹落ちしたんです。
営業所を回ったときに、誰も何も言ってくれなかったらどうしよう、と不安に思いながらワークもやったんです。でも、若い社員が、ユニークなアイデアを出してきて驚いたんです。
ところが、すごく信頼していた部長さんが、余計なことをするなと言わんばかりに「このオレンジの話は災いの種だから、なかったことにする」って言ったんです。そのときに、この上意下達の組織だと全部が動かなくなっちゃうと気づかされたんです。現場の声を押し潰して、「なかったことにする」と言う人が管理職にいたらダメになると思ったんです。それで、もっと横がつながるような会議をやりたいと思ったんです。
トップダウン式は、私が間違えたら全員間違えるわけです。現場の社員は、最初のうちは私や父には何も言えなかった。だから発言できると思ったら、いっぱい意見を言うようになった。ただ、企業としては「それが全体最適になるためにはどうなんだ」という俯瞰的な視点がほしい。それを社員が考えられるようになったら、ものすごい力になるんじゃないかと思ったんです。いままでは、父が「それは全体最適的にダメだ!」っていう判断で、「お前何言っているんだ!」とか言って、「組織っていうものがわかっとらん!」と終わっていた。
でも、そこで潰されるんじゃなくて、現場の社員たちが全体最適を考えるようになったらすごくいいなって思いました。私が答えを持っているんじゃなくて、そこは現場の人が考えたほうが絶対いいよね!っていうところがあった感じです。父のやり方でうまくいかなくなっていたのはわかっていたので、トップダウン式の弊害を漠然と体感はしていました。

あえて挨拶ができない人で「挨拶広げる委員会」をつくる

――いろいろワークショップなどで勉強された中で、会議を改善する方法を見つけていかれたのですね。
そんな感じです。それで、全社員が会議体に絶対入るというのを2年目ぐらいに始めました。「はあ?」って言われながらも続けました。工場で働いている人は、基本的にしゃべりたくないんです。「工場で働いているのに、会議とかあり得ない!」と言っているのはわかっていたけれど、そういう人たちの生の声と、その人たちが巻き込まれていくことが、すごく大事だと思ったんです。だから会議というカタチを通して全社員を巻き込んでいくことにしました。
会議は自分で全部テーマを出してもらう。たとえば、挨拶ができない会社だったので、挨拶ができない人だけを集めて「挨拶広げる委員会」をつくりました。「挨拶は大事だと思うよね? 挨拶ができる会社はステキだと思うよね?」、「そうです。だけど、夢中になっていたらわからない」とか、「手を止めると間違える」とか、できない理由をいっぱい言う人を集めて挨拶委員会にする。そうすると、「挨拶がどうやったらできるようになるか」を考えて、挨拶ができるような会社になっていったりして、うまくいった会議も出てきました。

会議改革の指標となった「5分会議」™

――具体的にどのようなカタチで会議を改善していったのですか。
会議を進めていくうちに、うちは会議を体系的に学んだことがないなって改めて実感しました。そんなときに、「5分会議」™を提唱する沖本るり子さんに出会って、コンサルティングをしてもらうことになりました。
――「5分会議」™を導入されて目に見えて変わってきたことはありますか。
変わりましたね。「5分会議」™をやると、誰が何を言ったかわからないんです。なので、みんなすごく自由に発言するようになりました。
去年は、社長がはりきりすぎていろいろ会議が多すぎるから、「会議を止めることを決める会議」をしたい」と言われたんです。「だったら、1回、会議を全部止めましょう!」って、「止めること決める会議」をつくるより、いま全員が必ず入る会議を全部止めよう」って言ったんです。
それで、改めて自分たちがやりたい会議をみんなの前でプレゼンをしてもらいました。自分で予算や想定する成果をプレゼンするわけです。それで「OK」って言われた人はやっていいとしたら、結局、新しい会議体がたくさん立ち上がったんです(笑)。結構若い人たちが会議を立ち上げて。つまり、自分が会議を采配して、全員が参加するために調整をしなくてもよくなったんです。

制約の中から会社の経営理念も見えた

――現場を巻き込んだ会議で役に立ったというエピソードはありますか。
デジタル印刷機をフレキシブルパッケージに世界で初めて導入したときにも、会議が本当によく役立ちました。初号機ということもあってうまく機能しないんです。マニュアルも日本語ではないし、「どうすりゃいいんだ?」っていうところから始まった。工場で実際に作業をする人、デザイナー、営業とデータをつくる部署が一緒になって会議をしていくわけです。
印刷機はすごく暴れん坊で、色がブレるとか、色が焼けるとか、いろいろなことが起こるんです。他の会社さんが買ったあとに、「あれって不良品を出すよね?」みたいにおっしゃっていたくらい。「あれでどうやって印刷して商品までいくの?」って聞かれました。でも実はいかに色ブレがバレないように、色が焼けるのがバレないようにっていうのを、連携しながら走らせていったんです。
会議で、たとえば「やっぱりクレームになっちゃうんです」「クレームにならないためにはどうしたらいいんだ」という会議をして。それで、やっぱり、「最初にお客様にメリットばかり言い過ぎた」となるんです。
最初にデメリットを、「こんなに色がブレる」「こんなに色が焼ける」「こんなにデザインの制約がある」ということを言ったうえで、「だけど、こういうメリットがある」って言って、契約したほうがいい。「文句を言われないように」って。そういうカタチでどんどんブラッシュアップしていきました。
そのうち営業では、「デメリットポンポンポン戦法」と言って、いかにデメリットを明るく言って、お客さんを笑わせて、そのあとにメリットを言う。「でも、デメリット言いましたよね」っていうところをきちんと押さえて、軌道に乗せていったんです。
――印刷機を直したり買い換えるのではなく、その印刷機の性能に合わせた戦略に切り替えたわけですね。
そうです。売り方とかデザインとかを。デザインも「こうやったら色がブレたときに目立たないよね」とか。そういうようなところで、デザイナーもデータをつくる人たちも全部絡んでいって。
他の会社さんの話を聞くと、よく「営業と工場が対立しちゃう」と言います。「工場がこんなもんつくりやがって」って営業が思うとか。「営業が工場の大変さを全然理解できていない」って言って、結構対立する話を聞くんです。さまざまな制約がある中で、うちは横軸で連携しながら、どう大事にならないでお客さんに満足してもらえるかを考えてきたところに、いつも会議がありました。
――「5分会議」™もそうですけど、制約があるほどアイデアって出たりしますよね。
本当にそうです。経営理念をつくるときに、通っていたセミナーで「なぜサッカーは足技が上手なんだと思う?」って訊かれたことがあるんです。「あれは手を使わないって決めているからだよ。困ったときには手を使うっていうルールだったら、あんなに足技はうまくならないでしょ」って。
私が、「安売りと下請けはしたくないんだよね」って話をしたら、「まずやらないことを決めて、やらなくてもどうやって利益が出るかって、そこに知恵を絞らないとダメ。困ったら安売りする、困ったら下請けする。それで、嫌だ嫌だって文句を言っていたって、何もならないでしょ」って言われました。それが腑に落ちて会社の経営理念が見えてきました。制約って本当に大事だなと思います。
橋本 久美子(はしもと くみこ)
株式会社吉村代表取締役社長。1932年、品川で祝儀用品の加工販売業としてスタートした株式会社吉村。その半世紀を超える歴史においては、日本茶を主とする食品包装資材の企画製造販売を行う。現在はパッケージのデザインにとどまらず、日本茶の販売にまつわる幅広いサポートを通じて、日本の伝統食品の新しい市場提案を手がける。
HP:https://www.yoshimura-pack.co.jp/

文・鈴木涼太
写真・大井成義

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