キャンプ場は“家族再生”の場【スマート会議術第151回】

キャンプ場は“家族再生”の場【スマート会議術第151回】有限会社きたもっく 代表取締役 福嶋誠氏

浅間山の麓に広がるキャンプ場「北軽井沢スウィートグラス」。きたもっくが運営するこのキャンプ場は、全国版アウトドア誌の人気キャンプ場ランキングでは過去4回も1位に輝く、日本屈指の人気のキャンプ場である。しかし、このキャンプ場の生い立ちに遡ると、初めからキャンプ場を目指したわけではなかった。きたもっく代表の福嶋誠氏は、「鳥やリスなど動物たちが集まる場、人々が集う居心地のよい場をつくりたい」と火山のつくった荒野に1本1本、木を植えることから始めた。そして、いまやいくつもの樹々が生い茂る森林の楽園となっている。

「自然に従いながらどのような暮らし、事業を営んでいくか」

それを考え続けながら四半世紀にわたりキャンプ場を営んできた福嶋氏。

日本においてキャンプはこれまで三度のブームがあった。最初は1990年代の自動車業界に牽引される形で、二度目はアパレル業界が加速させる形で。そして、現在は第三次キャンプブームである。では今日のブームの背景には何があったのか。

福嶋氏は「人と自然の関係が前面に出たブームだと思います」と言う。

それは近年、世界中の人々の関心を集めているSDGsの考え方とも一致する。その潮流にあって奇しくもコロナ禍は、キャンプブームを加速させた。

キャンプ場は、単なるアウトドアレジャーから、人と人、家族の再生の架け橋へ変遷し、いまや企業という組織体のつながりやコミュニケーションの在り方が変容する現代社会の写し鏡なのかもしれない。

キャンプ場を通して、見えてきた人間社会の変遷と未来について、福嶋氏にお話を伺った。

目次

やりたいことから始めるのが成功のカギ

――きたもっくを設立した経緯をお教えください。
きたもっくという会社をつくる前からキャンプ事業そのものはスタートしています。キャンプ場「北軽井沢スウィートグラス」ができたのは1994年、きたもっくの設立が2000年ですから、キャンプ場をスタートして5~6年経ってから会社としてのきたもっくができたということになりますね。
きたもっくの「きた」というのは北というエリアを指しています。我々の会社は、浅間山北麓の北軽井沢にあり、ここは冬、氷点下20度近くにもなる寒いところです。その厳しい寒さのイメージもあったので「きた」という言葉をもってきました。「もっく」は木と人をイメージしたんです。この会社名を考えていたときに描いていた事業のイメージは、樹木との関わりを如何に創るかでした。
――「北軽井沢スウィートグラス」は、いまや日本でも有数の人気キャンプ場として知られます。
私自身はそれほどアウトドア派というわけでもなかったですし、既にこの近辺にキャンプ場はいくつかあったので、特にいわゆるキャンプ場をしようと意識したわけでもなかったです。
まず考えたのは、人が留まるための場所をどうつくっていくか、でした。人が数時間であっても一日であってもそこに留まるためには、居心地のよい場所が必要です。そこには潤いのようなものがないと、なかなか留まりきれない。それを考え続け試行錯誤した結果の形が今のスウィートグラスなんです。
ここに生えている樹木のほとんどは私自身が植えた木なんですが、当初は荒涼たる大地でした。それも迫力があって良かったんですけど、荒涼たる大地だけでは人を留めることはできない。木をいかにして植え、定着させ、潤いのある場所を創るか、というのが当初の課題でした。
――最初はキャンプ場をつくるためというわけではなかったのですか。
必ずしもキャンプ場という目的ではなかったですね。鳥や二ホンリスを呼ぶという目的もありました。ここはニホンリスの最大の生息地ですから、ニホンリスが暮らすにはどんな木をどんな序列で植えていけばいいのかよいうことを大学に行って学んだりもしました。ただキャンプ場をつくるんだって意気込んでつくったわけではないんです(笑)。
――具体的にキャンプ場を始めるきっかけは、何だったのですか?
私は東京でずっと働いていたのですが、39歳のときに実家であるここ北軽井沢に戻ってきました。じつはこっちに来てから非常に大きな事業の失敗もしました。地域の商業集積地をつくりたいとショッピングプラザをつくろうとしたんです。国も当時そういうものを積極的に後押ししていたので、やってみようかなと…。それまでやってきた事業でのノウハウもあったので、それなりに計算し、これだったら大丈夫だろうとやったのですが、見事に失敗しましたね(笑)。
逆に、絶対に事業にはならないと思っていた場づくり、キャンプ場のほうがちゃんと事業として成り立っていった。皮肉ですよね(笑)。いま考えれば、本当にやりたいことをやったほうがいいとはっきり言えますね。やりたいことをやるのが、成功の一番の近道じゃないかなと。
――軽井沢は観光地としてのブランドが確立しています。そういう意味では未開の地で始める事業とは違うと思いますが、どんなアプローチを考えられたのですか。
北軽井沢は軽井沢から約15km、車で20~30分くらいですから、当然色々な影響はあります。そしてそれはしっかり考えるのですが、肝心なことは軽井沢の真似じゃダメだということですね。
軽井沢は当時から都市の大きなお金がどんどん入り込んでいましたから、都市型のマーケティングなんです。軽井沢の観光は完全に都市型マーケティングから出来上がったものです。一方、北軽井沢は近くにはあるが、そういう状況になかった。ですから軽井沢の都市型マーケティングの手法を真似ると失敗するんです。
――最初に手掛けたのはまさにその延長線上だったわけですね。
そうですね。都市型のマーケティングを意識して最初に手掛けたショッピングプラザのようになってしまう。だから私にとってこの失敗は非常に大きな意味がありました。この事業が失敗して、その一方でキャンプ場での成功事例も出てきて、それがいったい何かということを総括していく過程で実にいろいろなことがよく見えるようになってきた。そこで一番わかったのは、都市型マーケティングに左右されない在り方をいかに構築するか、ということでした。

「地域の暮らしを切り出す」というキャンプ場の思想

――キャンプ場は他にも昔からあったと思いますが、ビジネス的なアプローチはいろいろあったのですか。
キャンプ場でもそれぞれ全然違うと思いますね。歴史から言うと、キャンプ場は当初は野営場として、心身の鍛錬とか、ボーイスカウト・ガールスカウトの訓練とか、そういう場として動いていた。それが1990年代になるとレジャー型に大きく展開するんですね。主導したのは自動車会社です。日本の自動車業界が、RV車をいかに売るか、これをいかに世の中に定着させるかを必死に考えていた時期ですね。それは見事にハマるんです。
クルマに荷物を積んで移動して出かける、楽しめるレジャーっていうふうにいくつかの要素を組み立てていった結果、キャンプになったんですね(笑)。すべての自動車会社がRV車をつくりました。それが都市の日常生活に定着をしたという流れがあったと思います。
――日本の土壌があって発展してきた日本的なキャンプのスタイルというものはあるのですか。
アメリカンスタイルとか、ヨーロピアンスタイルとか、いくつかのスタイルがあって、当時主軸だったのはアメリカのプログラムを中心としたキャンプのスタイルでした。多くのキャンプ場がプログラムをつくってそれを志向していましたが、スウィートグラスはわりと独自の進化をしてきました。
我々もプログラムは大事にしていましたが、むしろ地域の暮らしにシフトしました。地域の暮らしを切り出し、それをキャンプといかにつなげていくか、が一番意識したテーマでした。そしてキャンプ場として発展させるためにしたことはキャンプ場で日々繰り広げられているシーンを丁寧にひとつずつ真面目にすくい上げることでしたね。シーンの蓄積をいかにしていくかということを大切にしました。
子どもが一輪車に薪を積んで歩いていくシーンであれば、その子どもがどういう格好で、どんなときに、どういうシチュエーションで薪を運んでいるかとか、あるいはどうやって親はその子に薪を運ばせたとか、そういうことをいくつも丁寧に重ねていくんです。我々はシーンの蓄積からキャンプ場を意識的につくろうとしたんです。そこは他のキャンプ場と大きく違う点かもしれません。
勿論キャンプ場を発展させる過程には、たとえばカヌーができますとか、マウンテンバイクができますとか、そういうレジャー的なアプローチもありました。そういう要素を全部捨てたわけではないのですが、スウィートグラスはレジャーとしてのキャンプ路線にはあまり注力しないように自然になっていきましたね。
この地域の暮らしの美しさ、ときには厳しさをキャンプ場の中に溶け込ませていって、それをいかに体感・体験してもらうかにシフトしたんです。それは成功したと思います。その路線が我々にとっては正しかったと、いまとなればそんな感じがします。

スウィートグラスのテーマは“家族再生”だった

――たとえば昭和のキャンプは、虫と焚き火とカレーライスの3点セットみたいな感じでしたけど、そういう子どもたちの体験は何か変わってきているのですか。
基本的には昔も今も同じですよ。結局ベースにあるのは、自然と人の関係だと思うんです。自然と人の関係をベースに置いて、自然の中での人と人の関係がどうやってできていくか、というのが我々のテーマなんです。だから子どもたちの体験自体そのものは大きく変わらないです。
――きたもっくでは焚き火を使ったTAKIVIVAという合宿型ビジネス研修のプログラムがありますが、自然と人の関係という意味で、小学生のキャンプと通底しているものは同じ考えなのですか。
スウィートグラスができて20数年経過して改めてキャンプとは何かを考えてみたんです。レジャーとしてのキャンプ、観光としてのキャンプ、あるいは旅の中でのキャンプやバーベキューのためのキャンプとか、いろいろな見方がありますよね。それぞれがキャンプの特徴を言い当ててはいますが、そういうことでキャンプをくくれるんだろうかとよくよく考えてみました。そしてそれはちょっと違っているんじゃないかなと感じたんです。
この20数年間、どういう人たちがキャンプ場に来たのか、リピートする人たちはどんな人たちで、そしてスウィートグラスというキャンプ場を卒業して来なくなるのはどういう状態なのか、こういうのを、数値的にも徹底的に洗い出してみたんです。そうすると少し見えてくるものがありました。結論から言うと、スウィートグラスは“家族の再生”をしていたことがわかったんです。
スウィートグラスのお客さまの75~80%ぐらいは家族連れです。家族が自然の中に入っていく場所、それがスウィートグラスなんです。いまはソロキャンプも流行っていますが、ソロは家族じゃないかっていうと、そうでもない。ソロの人だってお父さんお母さんを連れてこなくても、お父さんとお母さんがいて初めてその人がいるという関係性を持ってスウィートグラスに入ってくるんです。
この数十年で世界は非常に複雑かつ不透明になってきていて、それに伴って家族の形態も大きく変わってきています。家族の中でのそれぞれの役割も失われつつあり、家族で何か協働する機会もなくなってきている。それが家族でキャンプすると一気に復活するんです。それぞれの役割をもって協働することで。今、なかなかそんな機会はありませんから。
それでスウィートグラスというキャンプ場は“家族再生の場”をつくってきたという結論になったんです。そう言うと結構みんなびっくりするのですが、ちゃんと話をすると、多くの人が共感してくれています。

キャンプは天然のホスピタル

――いまは第三次キャンプブームと言われていますが、その時代背景について感じることはありますか。
最初は自動車会社がブームをつくって、次はウェアメーカーが非常に大きなアウトドアブームをつくりだしたんですね。これらの人たちは、モノをつくって売る人たちですよね。でも、いまのブームはそういうモノからでてきているのではないな、違う質のものじゃないか、と強く感じるんです。
それは何なのか、ちょっと考えてみたのですが、「人と自然の関係性」が前面に出たものだと捉えておくのが、一番いいかなと思っています。
特に今年はコロナ禍があって、このコロナ禍とどうつき合うか、がキャンプ場だけでなく全産業にとってのテーマになったと思うんです。コロナ禍は、人と自然の関係性の問題だ、と捉えると非常によく理解できる事柄だと思うんです。そういう意味でも、人と自然の関係性の問題が前面に出てきている。実際、都市生活の居住空間とか、仕事の仕方とか、様々な都市での過密状態はコロナ禍でかなりその本質を問われることになりました。
移動そのものというより、過密度合いの相関関係のほうが、コロナ禍は強く分析できるんじゃないかなと思っています。そんな社会の背景があっての第三次ブームと捉えるべきではないかなと。
――コロナ禍以前にも世界的にSDGsの潮流があって、いわゆるサスティナブル(持続可能性)な文脈も人々の心理にあった気がします。
そうですね。私も関連はあると思います。だからコロナ禍は突然パッと生まれたように見えるんだけど、じつはコロナ禍になる前にすでに問題は出ていたんです。そのことをしっかり掴むことが、すごく大事なことじゃないかと思います。コロナ禍が出てくる前に「人と自然の関係性をしっかり捉え直さなければならない」とか、「環境の問題をどうしていくか」など、サスティナブルや循環というのは、すでにテーマとして挙げられていたわけですよね。そこにコロナ禍がぽこんと乗っかった。
――キャンプ場の需要はコロナ前後で実際に変化はありましたか。
お客さまはとても増えています。自粛とか社会的な制約がなければもっと来ていただいたことになっていたと思います。
北軽井沢にいると、あまりコロナ禍を意識することはないんですよね。キャンプは基本屋外で距離も適度に保たれます。そういうことをお客さまはよく知っていらっしゃる。
もちろんキャンプ場として我々も工夫しています。スウィートグラスは、年間10万人ぐらいのお客さんが来られるのですが、今年はコロナ禍対策としてキャパシティをぐっと減らしました。25%ぐらいはカットしたんです。密を避ける空間をつくったり、建屋の中での接触を極力減らしたりすることをキャンプ場はやろうと思えばできるんです。都市のビルの中だとなかなか難しいことですよね。でもキャンプ場だと「なるべく接触しないでコテージやサイトにたどり着いてもらうために受付は外に出しちゃおうか」と考えることができる。それで我々はこの春からドライブスルーチェックインを導入しました。これで泊まるところにほとんど接触なしで行けるようになったのでより安心していただけたのではないかなと思っています。
また、緊急事態宣言が出たときは「移動を止めたいから営業をやめてくれ」となり、ゴールデンウィーク前後の3週間近く営業をストップしました。そのときにただ休みにするのはもったいないと思い、その間に施設の隅々まで光ファイバーを敷いてどこに行ってもWi-Fiがつながる環境をつくりました。
――それはスウィートグラスの敷地全体ですか。
そうです。敷地が3万坪と広いから、結構大変でした。電波が弱くなっちゃうところもあるし。そういうところがないように、全部引き込めるようにしました。まだ完全ではありませんが、ほぼインフラ的には出来上がりました。
――心理的には自粛やステイホームとなって、みんなストレスが溜まっているので、こういう開放感のある場所に行きたくなる気持ちはこれまで以上に強くなるでしょうね。
そうですね。うちのキャンプ場だけではなくて、どこのキャンプ場でもお客さまは増えたと思います。全国どこのキャンプ場もたぶん2割ぐらいの集客増を果たしていると思います。ただこのようになるとは、私も当初は思っていませんでした。「なんで今月はこんなにお客さんたくさん来てるのかな」と、最初は能天気に言っていたような状態でした。
でも、それはコロナ禍に対応する人たちのひとつの動きだったんですね。そのあとコロナ禍に対応してキャンプ場に人が来るという心理的な要因を整理して考え、「キャンプは天然のホスピタル」というタイトルのニュースを打ったんです。ウイルスに打ち勝っていく天然のホスピタリティが自然/キャンプの中にはあるという論調のものですが、それは結構支持されました。ただどうあれ、我々は自然と人の関係性を基軸にこれからも真面目にお客さまをお迎えしていくだけです。

文・鈴木涼太
写真・大井成義

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福嶋 誠(ふくしま まこと)有限会社きたもっく
実業家。1951年、群馬県北軽井沢生まれ。1990年ふるさと忘れがたく、家族と共にUターン。浅間山に恥じることなき生き様を求め続ける。1994年開業したオートキャンプ場スウィートグラスは、全国版アウトドア誌の人気キャンプ場ランキングでは過去4回1位に輝く。株式会社パイオニア福嶋、有限会社きたもっく代表。北軽井沢観光協会会長。著書に『未来は自然の中にある。 The future is in nature.』がある。

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