被災地石巻で成長を続ける「石巻ハッカソン」とは?【スマート会議術第12回】

被災地石巻で成長を続ける「石巻ハッカソン」とは?【スマート会議術第12回】株式会社イトナブ 代表 古山 隆幸氏

エンジニアやデザイナーらが集まり、テーマに沿ったアプリやサービスを短期間で集中的に開発する「ハッカソン」。シリコンバレー発祥のこのイベントが近年、日本でもブームとなっています。そうした中、日本でも有数のハッカソンとして知られるのが、宮城県石巻市で行われている「石巻ハッカソン」です。東日本大震災の被災地でもある石巻市を舞台とした、このハッカソンの何が特別なのか。主催者である株式会社イトナブ代表・古山隆幸さんにお話を伺いました。

目次

高校時代、石巻に感じていた閉塞感。「震災」を越えてそれを打破したい

――まずは石巻ハッカソンを運営しているイトナブの設立経緯について教えていただけますか?
元々、僕は石巻出身なのですが、高校の3年間ずっと「石巻はおもしろくない」と感じていました。何をやっても、「どうせ石巻だし」という閉塞感がある町だったんです。そうしたモヤモヤを抱えて、大学入学と同時に東京に行きました。
東京には行ったものの、サッカーや飲み会に明け暮れる毎日を過ごしていました。そうした僕の姿を見た友達に、「お前、このままじゃ高校のときといっしょだよ」って言われたんです。
そして、「おもしろい奴らがいるから」と誘われて行ったのが、慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)でした。自分と同い年の学生なのに、真剣にビジネスの話をしていて、大きな衝撃を受けました。さらに、そのつながりで、歳の近い20代のビジネスパーソンたちとも出会いました。
常にチャレンジしている彼らを見て「自分も何かやらなければ」という気持ちになりました。そして、僕自身も大学2年のときに会社を立ち上げたのです。
――モヤモヤした気持ちを抱えて上京し、古山さんは東京で変わったのですね。
はい。上京して「東京はおもしろい」と思いました。
なぜかというと、東京にいる人々は、前向きに攻めているからだと思うんです。高い意識で「天下を取るぞ」と考えている若者がいる。それがカッコいい。
自分は田舎から東京に出て、東京にいるそうした人々に変えられたのだと思います。
――そうして東京で変わった古山さんが、石巻に戻った理由とは何だったのでしょうか?
やはり、東日本大震災があったからですね。
学生のときに立ち上げた会社は、学生のうちに閉じたのですが、その後、また改めてWeb制作会社を立ち上げ、順調に成長していました。しかし、そこで震災が起きた。実家が被災したということもあり、石巻に戻り、しばらくは実家で仕事をしていました。
――震災がなければ、東京にいましたか?
はい。東京にいたと思います。
「石巻で何かしたい」という想いは、震災前から持っていましたが、そのきっかけもありませんでした。一方で、「石巻でやってもなぁ」という気持ちも正直ありました。
でも、震災が自分の気持ちを石巻に戻してくれた。そして、実際に石巻に帰ってみると、町は本当にゼロになってしまっていた。ですが、逆に「チャンスだ」とも思いました。町は何もかもなくなってしまったから自ずと変わるだろうけど、どうせ変わるのなら、いい方向に変えたいと。
「自分が高校時代を過ごした、あのモヤモヤした町にはしたくない」という想いがわき上がり、石巻に戻ってきました。
――そうしてイトナブを立ち上げたのですね。
自分が高校生だったころと同じように、石巻には今でもモヤモヤを抱えている若者たちがいるだろうと思ったのです。
彼らに、僕が東京で刺激を受けた、あの「攻めている大人たちの背中」を見せたいと思いました。「石巻でもやっていいんだ、石巻だからチャレンジできるんだ」と若者たちに思わせたかった。
情熱がわくような場所を作りたいと思い、震災の10年後である2021年までに「1,000人のIT技術者を生む」という目標を掲げ、イトナブを始めました。
古民家を改修した、イトナブが運営する施設「ギークファクトリー」。玄関の戸を開けると、土間が打ち合わせスペースになっている。

「理想的な教育の場」としてのハッカソン。一方で飽和状態も?

――イトナブで「石巻ハッカソン」を始めた理由や狙いを教えてください。
石巻ハッカソンを始めた2012年当時、日本でハッカソンは年に何回か開催されている程度で、ハッカソンという言葉も、まだ定着していませんでした。
しかし、いろいろなエンジニアが集まれる良さを感じ、ハッカソンを始めてみたいと思いました。石巻にはエンジニアがいないので、若者にその背中を見せたかったんです。今の時代、ネットを調べれば一人でプログラミングを学ぶことはできます。しかし、その活かし方を学ぶことは、なかなか難しいのが現状です。
そうした中、いろいろなプロが集まって、それぞれの武器をどう使うかを生で見ることができるハッカソンは、学ぶ場として最適です。「これは教育だ」と思い、石巻ハッカソンとして始めることになりました。
2012年の第1回の参加者は30名ほどでしたが、2017年に行った第6回には160人の参加者が集まりました。
全国でハッカソンの開催数が増えている昨今、このように参加者数が伸び続けているイベントは数少ないと思います。東北では一番大きいハッカソンとなりましたし、日本でも5本の指には入るくらい大きなイベントに成長することができました。
――石巻ハッカソンが大きく成長した理由はどこにあるのでしょうか?
「ハッカソンは教育」と先ほど申しましたが、実際に開催してみると、それは大人が若者に教えるという「一方通行」の教育ではありませんでした。
――と言いますと?
ハッカソンの3日間を通して、大人たちは高い技術でレベルの高い物を作ります。
学生はその姿を見て感動し、「いつか自分もこうなりたい」と思い、たった1年でものすごく成長を遂げます。しかし、すでに経験豊富な大人たちは1年ではそれほど成長することはできません。
だから、逆に大人は、そんな若者たちの成長の速さを見て、刺激を受けるんです。こうした相互作用が、自然に生まれたのです。
――大人が若者から刺激を受け、みずからの成長の糧とする場でもある、と。
最初は「支援」とか「若者にプログラミングを教えたい」という思いから始めたハッカソンでしたが、いつの間にか、大人たちのほうが刺激を受けていましたね。そして、そうした刺激をみんなが口コミしてくれるようになった。「ほかのハッカソンと違うから絶対に行ったほうがいいよ」と。
ハッカソンの意味合いは最初のころとは変わりましたが、気付けばお互いが高められる環境になって良かったと思います。
――石巻ハッカソンがほかのハッカソンと違うのは、どんな点にあると思いますか?
多くのハッカソンには「想い」がないと感じます。開催理由が単に「企業のブランディング」や「予算があるから」「流行っているから」というハッカソンは、いずれ小さくなる傾向にあると思いますね。
石巻ハッカソンは、優勝しても商品が「石巻のたらこ」とか安い物なので(笑)、金品が目的の人は来ません。
「若者に自分の背中を見せたい」とか「若者から刺激を受けたい」という気持ちで、みんな来ているのが大きいと思います。
さまざまなハッカソンの会場となっているギークファクトリー。宿泊施設としての貸出しも行っているとのこと。
――そうした場を作るために行っている具体的な施策などはありますか?
具体的な施策は特にありません。「うまくマッチングさせよう」といったことも考えず、場所だけを作っています。
参加者の皆さんが集まってワクワクすれば、あとは自分の持っているものをぶつけ合ってくれるので。そうなれるような環境を作りたいとは意識しています。

震災で亡くなった人たちの「想い」を生かし続ける

――ハッカソンとして、石巻という土地から影響を受けた点はありますか?
やはり、震災の体験から来る「想い」ですね。震災があったから、石巻は有名になってしまった。僕たちは、こうして有名になってしまった町を、もっと違う意味で有名にしないといけないと考えています。
亡くなってしまった人たちがたくさんいる中、今生きている我々は生かされた人間だと思います。震災がなければ、この取材だって、こうした出会いだってなかったですよね。でも、亡くなってしまった人たちは、もう誰とも出会えない。
我々は「可能性」を託されている。だからこそ自分は、その可能性の糸を集めて、その上を歩けるくらいまで太く束ねないといけないと思っています。
――最後に今後の石巻ハッカソン、そしてイトナブの展望について教えていただけますか?
自分たちは、石巻を世界一の「テクノロジーの学びの場」にしたいと思っています。
先ほど申しましたように、プログラミングの学習はネットで調べればいつでもどこでもできます。でも、サッカー部の部室に行けば、同じサッカーが好きな仲間が集まっているように、テッペンを取りに行こうとしている若者たちが集う、刺激ある場所で学べるようにしたい。仲間たちと、プログラミングの技術とその活かし方を学べる。そんな町にできればと思っています。そして、その子たちには石巻からどんどん巣立ってもらいたいです。
――石巻に居続けてもらうのが目標ではない?
はい。彼らが飛び立っていけばいくほど「メイドイン石巻」の優秀な人材がいろいろなところで活躍するようになります。彼らがゆくゆくは橋をつなげてくれるというのが、自分の構想です。
自分は、石巻に対して最悪の印象を持って東京に行きました。でも、「石巻はすごく良かった」と思いながらも、「もっと何かをしたい」と外に出て行けば、きっと将来成長して石巻とつなぐ仕事をしてくれると思うのです。そんなモチベーションの違いだけで、10年後の未来は変わってくると思っています。

行政から見た「石巻ハッカソン」

石巻市の復興政策部の佐藤宏幸さん(右)。

石巻市の復興政策部において、震災伝承推進室とICT総合推進室の室長補佐を務める佐藤宏幸さん。イトナブとともに、築300年の茅葺き古民家にIT開発という最先端の機能を取り入れているプロジェクト「ギークファクトリー@北上」を推進しています。佐藤さんに、行政視点から見た「石巻ハッカソン」についてコメントをいただきました。

「石巻ハッカソンは全国的に見ても大きなイベントで、毎年多くの参加者が全国から集まっています。こうした活動を続けてもらうことで、地元の人材育成や、石巻発の世界的プロジェクトができればいいと期待しています。
現実的なところ、今の段階では公金をそこに投入することは難しく、もどかしい部分もあります。私個人としては、今のままのやり方で自由にやっていただくのがベストだと思っています。こうしたイベントに行政が深く関わってしまうと、どうしても自由度が薄れてしまいがちです。そのため、なるべく自由にやりやすいようにというスタンスを崩さず、行政としては、会場面の相談などに応えられるよう、支援できればと考えています」

300年という歳月を生き抜いてきた古民家が、ITというテクノロジーと出会うことで、人と人とがふれ合い、未来を築く場として進化し続ける。

文・写真:坂上春希

古山 隆幸(ふるやま たかゆき)株式会社イトナブ
株式会社イトナブ代表。宮城県石巻市生まれ。若者へのIT教育を通して、誰もがITで「学び」「遊ぶ」ことができるプラットフォームの開発を手掛ける。日本、とりわけ石巻の若者が、ITの世界で開発者として活躍できるよう、一般社団法人イトナブ石巻と株式会社イトナブを設立。若者がITを学べる場を提供する。

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